ストラテラを食べながら人生を振り返る【脳に障害がありました・・・】

西山はるか
最近病院でストラテラというお薬をもらったので毎朝飲んでいます

ストラテラってお薬があるんですけど、あなたはご存知ですか?

薬局でもらった説明書きを見ると

「気持ちを落ち着かせるお薬です」

と記されていました。

「ははあ・・・」と私は苦笑しました。とても回りくどい書き方がされているからです。

率直に言うとストラテラは脳の機能の弱い部分を補う薬で、主に発達障害と診断された人に処方されます。

発達障害とは、人として生まれ、成長したときに脳の一部だけうまく育たない病気で、最近はよく話題になっていますね。

脳のほんの一部が発達しないだけであとは普通に育つので、全然障害があるかわからないのが特徴です。おそらく自分に障害があるだなんて気付かずに普通に人生を謳歌してしまう人もいるはずです。

残念ながら私は自分がどこかおかしいということに気付いてしまい、病院に行ってみたら薬を渡されてしまったというわけでございます。

思えば昔からおかしかった

私はナレーターとして活動しているため、話し方が人一倍しっかりしています。

そのため誰からも発達障害だなんて疑われることなく育ってきたのですが、思えば結構怪しい点が多かったのです。

私の人生を振り返ってみましょう。

1992年 この世に生を受ける

早くに親は離婚し、シングルマザーとシングルおばあちゃんに育てられる

離婚したくせにちょくちょく父は家を訪れ、私にガンダムとかエヴァンゲリオンを観せ続け、無事私はロボヲタになった。

保育園ではよく女友達のお尻を噛んでいた

先生とか周りの人たちはドン引きしてたけど、自分では何がおかしいかよくわからなかった

しかしそのお尻を噛んでた女の子は次第に僕に懐くようになり積極的に手を繋ぎに来てくれた。

多分真性のドMだったのだろう。目覚めさせてしまって本当に申し訳ない。

そういえば卒園式の日に将来の夢を発表しなければならないのだが、園児の中で私だけ夢が無かった。

男の子たちは「大工になりたい」とか、女の子たちは「スピードになりたい」とか言ってた。

みんななぜ夢があるのかさっぱりわからなかったが、とりあえず私は「ガンダムになりたいです」と大声で叫び保育園生活は幕を閉じた。

1999年 小学生ライフが始まる

小学生にもなるとさすがに女の子に話しかけるのが照れ臭くなりお尻なんて噛むことは無かった。

印象的だったのは小学生1年生の時、「長い針が数字Xを指している時短い針はどこを指しているか」という宿題を出されて大苦戦した時のことだ。全10問ほど。

こんなの絶対わかるわけがないが、なぜか自分は家で頭を悩ませてながらも全て解いた。しかも全問正解した。

翌日学校に行くとみんな先生から配布された時計のレプリカを使って問題を解いていたことを知る。(レプリカ時計の長い針を操作すれば勝手に短い針も動き、宿題が簡単に解ける)

先生の話を聞いていたはずなのに私は時計を配布されたことに気付いていなかったのだ。

これが多分最初の発達障害事件。

あとは物忘れが激しく頻繁に教科書や宿題を忘れた。教員だった母親にはよく殴られ、再婚した父親にも助けを求めたが父親も教員だったので殴られた。八方塞がりである。

あとお菓子食べ過ぎて太った。

今思うとお腹が空いてないのにものを食べ続けてしまうのは発達障害特有の症状だったのかもしれない。

2005年 中学生ライフが始まる

中学生になると部活動が始まるのだがここでまさかの吹奏楽部を選択。もちろん男子はゼロのため女子から陰湿ないじめを受けることになった。私がもっとイケメンだったら・・・。

親からも「テニスとかやらないの・・・?」と言われたがなんかピンと来なかった。

「せめてサックスかドラムやったら・・・??」と言われたが反発してフルートにした。男子のくせに最軽量の楽器を選択。

この頃から運動部のイケイケは周りから優遇され、私のようなアニメヲタクたちは迫害されることとなった。

「逆転劇を見せてやる」と思い、なんか特殊な総合学習という授業の時間を利用して映像作品を作り上げた。(総合学習では各自が好きなテーマで研究ができる)

運命の発表会の日、大きな体育館のスクリーンにその渾身の映像作品、タイトル「えんぴつを食べる少年」を公開したところ、生徒どころか先生にまでドン引きされ、次の日からますますウェイウェイなやつらに迫害されることになった。

静かに教室でライトノベル「撲殺天使ドクロちゃん」を読んで過ごしていた。

相変わらず教科書と宿題を忘れた。

2008年 高校デビュー

なんとなく選んだ学費の高い私立に入学。

入学式の日のクラスでの自己紹介の時に「好きな食べ物はアイスクリームです」と発言したことでクラスメイト全員からドン引きされ、開幕高校デビューをしくじった。

そのあと合唱コンクールで指揮者に立候補し(「あいつにやらせんなよ・・・」という男子の声が聞こえた)、指揮者としてなんとかみんなの信頼を勝ち取り、仲良くなる。吹奏楽部だったおかげで指揮がうまかったのだ。助かった。

しかし高校デビューで浮かれた私は一人の女子に勢いで告白し、丁重にお断りされ、その情報が次の日クラス全員に知れ渡り無事友達がゼロになった。

友達がいなすぎて所属していた部活に力を入れるようになり、一年生の時点で三年生よりうまくなった。つい調子に乗ってしまい無事先輩たちからも嫌われる。

女の先輩たちから「顔は普通なのになぜかキモいよね」と言われた。

そんな最中後輩の子と付き合えることになり、高校生らしく青春を謳歌したが、他の男に寝取られた。それでも諦めずに追い続け復縁し、1年半ほど付き合ったのち「先輩はたまに発言が頭おかしくてもう無理です」と言われて振られる。

彼女がいなくなってしまったのでヲタク友達と遊戯王をしながら残りの学校生活を楽しんだのであった。

ちなみにもう諦めて宿題は一切出さないスタンスを貫いた。なぜか成績がよかったので怒られなかった。

2011年 大学生 楽し過ぎて5年間在学した

心機一転大学生になり埼玉県で一人暮らしを開始。ここから本格的に発達障害が顔を出し始める。

洋服を入れるケースを買うことがめんどくさいため引っ越しの時に使ったダンボールを使用。無事大学一年生の時点で「おばあちゃんちみたいな匂いがするヤツ」のレッテルを貼られる。

自宅の片付けが苦手で即座に部屋がゴミ屋敷と化し、ゴミ屋敷のおばあちゃんに進化する。

春に行われる学園祭の準備がめんどくさくて参加せず、気付くと自分以外のみんなが仲良しになっていた。おばあちゃんの匂いがするゴミみたいなぼっちに超進化。

授業中に友達を作ろうとするも授業中じっとしていられずすぐ外に出てしまうようになり、友達どころか単位も失う。

しかし校内には私と同じようなクズ人間が集まるクラブハウスという場所があり、そこで授業をサボる奴らたちと仲良くなる。授業に参加せずみんなで校内でサンマを焼いたり服を脱いだりして遊んだ。

次第に頭のおかしい連中たちで酒を浴びるように飲んだりキャンプしたり仮装行列をするようになり、まったく授業に行かなくなってしまった。恐らく全員発達障害者だと思われる。

キャンプでカレーにシャンプー(いち髪)を投入してみんなで食べてみんなで吐いたのは良い思い出である。

さすがに授業に行かないと親に殴られてしまうと思ったが、ここでまさかの彼女ができてしまい、彼女と遊び呆けて無事単位を落とす。後の嫁である。ちなみに嫁はなぜか単位を落とさなかった。

案の定単位が足りず留年することが確定したので何か親に言い訳をしなくてはならず、NHKが主催する全国放送コンクールアナウンス部門に挑戦し、見事全国優勝を果たす。

校内でも話題となり、大学が新入生向けに発行している校内新聞に堂々と載ってしまう。

「アナウンサーの訓練を頑張ってたら留年しちゃった」と親に伝えるととても喜んでくれた。

なんとか怒られずに済んだが、私が社会人になった時のために貯めてくれていた100万円が学費として消滅した。

教授に頭を下げて120ページのレポートを書き、なんとか大学6年生を回避。(卒業論文より文字数が多い)とあるテストで1200点という天文学的な数値を取れたのも留年回避に一役買った。(平均点は500点)

そして周囲が2月頃から就職活動を開始する中、私は次の年の1月から本格的に就職活動を開始した。実に12ヶ月も遅れたスタートである。

奇跡的にとあるベンチャーブラック企業に内定をいただき、無事卒業式を迎え、年下の彼女と一緒に大学を飛び立ったのであった。

2016年 社会人編〜現在

ベンチャーブラック企業でエアコン代が下がる魔法の板を売るセールスマンとして働くが、むしろ板を貼り付けたせいでエアコンが熱くなることに気付き退職。

半年で職を失ったが大手のIT企業に内定をいただき即転職に成功。しかし始業時間が朝8:30という難易度ルナティックな会社であったため遅刻を連発。次第に諦めの境地に達し、最終的にはずっと布団の中にいるようになった。

試しに精神科に行ってみると「うつ病寸前です」と言われ診断書をもらい、それを会社に見せると即クビになった。そういえば大学生の頃もブックオフと家庭教師をクビになった。原因は寝坊。

また半年で職を失ってしまったためカツ丼屋でバイトをしながら次の職を探す。

そういえば絵を描くことが好きだったので「めっちゃ絵描けます」と言い張りデザイナーとして小さな会社に転職する。ちなみにカツ丼屋の店長が夜逃げしバイト代はもらえなかった。

仕事は楽しかったが給料が少なかったためFX、せどり、株、仮想通貨に手を出し20万くらい失う。が、土壇場で株の才能を発揮し60万を稼ぐ。仮想通貨もうまくいったので全額使って彼女に指輪を買って結婚式も挙げた。fin

このまま人生はうまく行くかと思われたがまた寝坊ぐせが発動し遅刻を連発。会社の人たちから次第に信頼を失っていく。

気まずくなってほぼクビみたいな形で自主退職。職を失うのはこれで3回目。まだ社会人になってから3年しか経っていないのにこれである。

仕方ないので手に職をつけるため勉強を頑張りいい感じのIT企業に転職。

この会社では結構うまく立ち回っていたが、やりたくない仕事を振られそうになったことで猛反抗し、問題児として話題になってしまう。

だが運良く恵まれた現場に配属となり、私服で10時出社という最高の環境に身を置くことができた。

相変わらず寝坊はしたが、訓練された動きでさも遅刻していないような立ち振る舞いをすることに成功し、現在は無遅刻ということでレコードが刻まれている。

今回の職場にはぜひ長く腰を据えたいので、積極的にジョーク混じりの爆笑トークを周りの人にふっかけるよう心がけていたが、「なんかコミュニケーション取りづらい」とクレームを喰らい、今月末で現場から外されることが決定した。

ふう・・・。

自分で書いていて思いましたが重症ですねこれ。

まとめ

とりあえず私が人生で困っていたことが

・テンションが周りと噛み合わない

・寝坊が治らない

・物忘れが酷い

・やるべきことをやれない

・相手の話が理解できない

まだまだありますが主にこんな感じです。

残念ながらこれはもう薬に頼らざるを得ず、しぶしぶ毎朝薬を飲んで、副作用で朝ごはんを戻しそうになりながら電車で通勤しています・・・。

しかし不思議なことに最近職場の人たちと仲良くなれていることに気付きました。

自分としては薬の効果はあまり感じないのですが・・・何かが改善されているのかもしれないですね。

まあ今月末でクビなんだけどね。

そして、確かに困ることは多いのですが、その代わりに他の人には無い不思議な才能も数多く私にはあります。

変な病気ではありますが、うまく付き合っていきたいですね。

ではでは。

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西山はるか
会社員だったがうつ病で退職。 そこからなぜかプロナレーター・声優に。 しかしこれだけでは食っていけないと思い絵もデザインもド下手なのに経験者というハッタリをかまして、見事グラフィックデザイナーに転身。 その後さらに収益をアップさせるためにフリーランスエンジニアにジョブチェンジ。もうめちゃくちゃである。